2024年1月13日~3月10日まで奈良県立美術館で開催の特別展「漂白の画家 不染鉄」の観覧レポートです。
どんな展覧会?
・不染鉄は晩年などを奈良ですごした画家
→奈良県立美術館開館50周年記念
・幻想的でどこか懐かしく切ない作風が魅力
観覧レポート
全体的な感想
私が不染鉄の展覧会に行くのは、2017年?の東京ステーションギャラリーでの特別展以来2回目。
前回はまだ美術展自体に慣れておらず「詳しいことはよくわからないけど、なんか好きだなあ」程度の感想だったのですけど。
2回目ともなると、不染鉄の人生を辿りながら鑑賞でき、また新しい発見もあり、非常によかったです。
絵の中に書き込まれた文章も、あわせてパネル展示してあったのですが、これまた素敵で。
エッセイというか詩的というか。
あたたかみがあるのにどこか(いい意味で)切ない。
(絵画自体もそういう印象ですが)
読み入ってしまって、全然時間が足りなかった。
最後のほう閉館時間になってしまいほとんど見れず……。
もう一回行こうかなと思っているくらい、私にとっては良い印象でした。
印象に残った作品・感想
山海図絵《伊豆の追憶》
今回の展覧会のキービジュアルは「山海図絵」。
他の作品も含めての感想ですが、不染鉄の絵って、なんとなくほんわか見せておいて、精緻に描き込んであるんですよね。
遠くから見ていると、境界をはっきり描かないような優しい雰囲気なのですが、近寄ってみると、岩の描写とかものすごくリアルなのです。
家屋もちょっと丸みがあるような癒し系の雰囲気なのに、よく見ると屋根がつくる影の感じとか立体感がありまくりで驚きます。
ほんわかしたところと精緻に描きこんだところが一枚の絵の中に同居していて、それが独特の幻想感を生み出しているのかなと思いました。
秋色山村(昭和初期頃)
画像>>>秋色山村/奈良県公式ホームページ
これまた遠くから見るのと近くで観るのは全然印象の違う一枚。
一見、渋い印象なのですが、近くで見ると……絵本のような……メルヘンというか……明るさがあると言うか……
うまく表現できないのですが、距離によって印象が変わるんです。
今、この記事を書きながら公式サイトの絵を見なおしたのですが、「ほんとにこの絵だったかな」と疑ってしまうほど印象が違う。
こういうことは現物を見ないとわからないことなので、実体験って大事だなあとも思いました。
仙人掌(昭和8年)
仙人掌はサボテンの総称。
不染鉄が小石川(だったっけな?)に住んでいたころ、サボテンを集めて大事にしていたらしいのですが、その様子が絵画からうかがえる作品。
チラシを映した写真だと魅力が全然伝わらなくてもどかしい。
これも近くで観ていただきたい。
サボテンのあのトゲトゲしたかたい毛や肉の感じはなく、とにかくかわいらしく、一鉢一鉢、本当に丁寧に描かれています。
愛情をもって育てていたんだな、とわかる。
山(昭和初期頃)
山の端の、空との境目を拡大して、細かく描いたという感じの構図。
「そうそう、望遠レンズで撮影して抽象化したら、こんな感じになりそうよな」と思わずうなずいてしまう。
山って、全体としては⛰の形なのですけど、構成要素は土と木々ですよね。
その様子がとてもよくわかる一枚。
写実に振り切っているわけじゃないのにリアルで。
でも、雲のような土のような不思議な模様が随所に入っていたりして幻想的でもある。魅入ってしまいました。
ぜひ実物をご覧いただきたい一枚。
落葉浄土(1974頃)
(チラシに印刷してしまうと魅力が伝わりにくいのですが)
仁王像のいる門があって、奥にご本尊のいる本堂がある、お寺の情景。
近くで見ると、仏像たちがぽうと浮かび上がるような、神聖な光り方をしているように見えて、ちょっと鳥肌が立つような。
母屋には父親と不染鉄と思われる人影も(不染鉄はお寺の子でした)。
解説は過去の展覧会の記事ですが、これがわかりやすいかと
【奈良県立美術館特別展 没後40年 幻の画家 不染鉄⑩】《落葉浄土》 風景に自らの心情込め…最晩年82歳の作品 | 産経新聞 奈良県専売会
この「落葉浄土」が最晩年82歳の作品とは驚きました。
その年齢でないと描けないものもあるし、長年書き続けた結果としてより練られたものが生み出されることもある。
そういう「時間や経験を身につけられる」ところが芸術っていいよなと思います。
(弟子の作品)身辺雑記(野田和子)
弟子の野田和子氏が描いた作品なのですが、これもかなり印象深かった。
向かって右に不染鉄、左に野田和子氏が座っていて、周辺をあらゆる雑貨が取り巻いている構図。
晩年の不染鉄の住まいにあった雑貨が陳列されている、まさに「身辺雑記」。
不染鉄の画風とは異なるのですが、「他者から見た不染鉄」でもあり、彼の作品からは見えない別の面を表しているようで妙にリアリティを感じました。
考えたこと
切なさの起源
不染鉄の絵も文章も、どこか切なさが漂うと私は感じるのですが、それはもしかすると彼の生い立ちにあるかもしれません。
不染点は僧侶の子として生まれたのですが、当時の一般僧侶は妻帯を許されておらず、母との関係はふせられていたのだとか(ウィキペディア情報)。
しかもその母もわりと早く亡くなってしまったようです。
また、小学生のうちに、他のお寺に修行に出されたりと、さみしさを感じざるを得ない環境だったようです。
母なるもの、あるいはそれに代わる何か。
それを常に求めていたからこその、にじみ出る切なさ、なのでしょうか。
絵を通して一人の人間の生涯を垣間見る
だれしもそうだと思うのですが、年齢や時代によって作風は変わっていきます。
そのときどきの雰囲気が作品に表れる(というか、意図せず表れてしまう、むしろ雄弁に)のが興味深いなと改めて感じました。
直接会ったことがないのに、人となりがわずかに立ち上がってくるというか。
不染鉄も晩年は、かつて過ごした思い出の場所を描くようになるわけですが。
作品に思い出が乗っているので、ただの絵じゃなくて、心象風景となっていて、見る者に訴えかけてくるのですよね。
彼の若い頃の絵も好きですが(シンプルに絵画としてみるならそちらのほうが好みかも)、晩年の絵はなんかこう、ものすごく心に迫ってくるんですよね。
おわりに
サクッと感想を書くつもりが、とてもよかったので、長めになってしまいました。
不染鉄の絵を観ていると、だれかの心を動かすには、パッと見の印象が良いだけじゃ足りなくて、細かいところこそ精密に(いわゆる「芸術は細部に宿る」)からこそなのだな、と思いました(まあ単に、私の好みがそういう作風なのかもしれないが)。